カイロプラクティックとは|霧島市で疲れをとるならうるうカイロプラクティック院

カイロプラクティックとは
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カイロプラクティックとは
うるうカイロプラクティック院
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カイロプラクティックの生命観

カイロプラクティックの生命観

カイロプラクティックとは
カイロプラクティックの生命観は、古代ギリシャやインド、東洋などの生命観に共通した考え方を持っています。それは、現代の科学から見れば、神秘的な生命思考と言えるかもしれません。
「医学の父」と呼ばれたヒポクラテスは、野生動物の本能的治療を持ち出すまでもなく、どんな病気の治療でも、病人を回復させる一番の力は「自然治癒力」であると考えていました。したがって、医者の役目は、このエネルギーが正しく流れるように障害を取り除くか、少なくする事である、と説いています。東洋医学にも「気」という概念があり、このエネルギーが身体中を循環して、生体を維持しているという考えに基づいているのです。
 同様に、伝統的なカイロプラクティックの教えも、D.D.パーマーの説いた「イネイト・インテリジェンス(先天的知能)」という生体エネルギーの仮説を発展させていきました。パーマーは、「このイネイト・インテリジェンスが神経系を通じて、身体中くまなく伝達されている」と考えたのです。そして、病気はイネイトと呼んだこの生体エネルギーの流れが妨げられた時に生じると考え、カイロプラクティック治療によって、その障害を取り除くことができると説いたのです。
 現代医学の知識をもって、このカイロプラクティックの生命観や治療の原理を理解しようとするならば、まず「イネイト」の存在を理解する事から始めなければ充分とは言えないでしょう。しかし、イネイトの存在を現代化学で実証することは難しく、実際、カイロプラクターの間でさえ、イネイトの原理については統一されていないのです。中には、宗教的な観念で説明する意見もあり、当時、カイロプラクティックが医学の世界に容認されなかった理由の一つが、このイネイトにまつわる生命論にあったのも事実です。
 それも今では、新たな知識による今日的解釈が試みられています。イネイトは、正しい身体の内的外的環境を統御し、身体を健康状態に保つ力であり、メカニズムである、という理解であります。しかし、この問題の真の解決は、後世の研究に委ねることになるでしょう。
 イネイトという超科学の生命観を、ひとまず置いて、カイロプラクティックは、神経生理学の知識に基づいた新たな生命観を構築していきました。それは、神経系が身体の主要な制御組織であり、神経インパルスの正しい伝導の阻害が身体の機能障害や病気を誘発するという考えです。こうして、筋肉・骨格系の構造的トラブルが、神経系への影響による身体の不調和をもたらすというカイロプラクティックの考え方は、基礎医学の裏付けのもとに、新たな視点の生命観を生み出したのです。
 時代は、今や大きな転換期を迎え、唯物主義的な現代科学のパラダイム(思考の枠組み)を乗り越えようとする新たな動きが台頭してきました。ニュー・サイエンスという潮流です。現代科学の枠組みからは、生命の一側面しか見えてこない。そこで、角度を変えて、生命の姿を見つめ、そこから人間の潜在的可能性を探る、別な側面の科学なのです。
 そういった柔軟な姿勢で、生きた人間を見据えた時に、カイロプラクティックの伝統的な生命観である「イネイト」の存在も、将来白日のもとに明かされる日が来るに違いありません。こうした新たな「生命思考」によって、「生体エネルギー」というカイロプラクティックのダイナミックな生命観が証明されることを期待したいものです。

カイロプラクティックの科学性

カイロプラクティックの科学性

カイロプラクティックの3本の柱
 民間治療として世に出たカイロプラクティックは、その驚異的な普及に呼応するように、当然の如く、医学会の格好の批判の的となりました。その多くは、「カイロプラクティック・アジャストメントはすべての病気を治す(Cure all)」という世評に対して、それを実証する科学的根拠がないという点に向けられていました。「イネイトが治す」という説明では、医学という分野であまりにも説明を欠いていたのです。
 しかし、インチキ治療という非難や、カイロプラクターを締め出そうとするアメリカ医師会の画策にも屈せず、彼らはそれらと戦い続け、ついには今日の地位を勝ち取ったのです。そのカイロプラクターを勇気づけたものは、非難の声にもまして「カイロプラクティックのおかげで病気が治った」という人の数が、うなぎ上りに増えていったことでした。同時に、この事実を裏付ける科学的研究にも、心血を注ぐことを忘れなかったのです。これはカイロプラクティックを支持する声にもまして重要なことでした。
 デカルト以来の心身二元論に基づく現代科学の手法は、生命を全体として捉えようとするカイロプラクティックにとって、適切な手法とは言えません。そもそも人間を対象とした科学は、すべて「未科学」の状態であり、「事実」を冷静に見つめがら、そこに存在する因果関係を追求していく姿勢の中にも、科学は存在するのです。その意味では、カイロプラクティックの科学は、「理論から事実」ではなく、「事実から理論」の証明でありました。
 このカイロプラクティックの科学に果敢に取り組み、カイロの学問的レベルの向上に貢献したのが、J・ジェンシーやJ・R・バーナーらでした。彼らは、新しい神経生理学の知識やベーシックサイエンスからカイロプラクティックの理論的根拠を求めていきました。それまでの「椎骨のずれが神経を圧迫する」といったカイロプラクティックの根拠の不十分さを指摘した彼らは、圧迫のないサブラクセーション概念を打ち出しています。
 こうして関節障害に注目した一方、「全体であると同時に個である」という生物学的認識論(ホロン的概念)にカイロプラクティックの理論的根拠を求めていきました。それは、医学医療の盲点とも言える分野に目を向けた新しい見方だったのです。
 カイロプラクティックは、あらゆる治療法と同様、限定的な治療であることは否めません、しかし、その特色は、著しい効果を発揮し、健康と疾病の関係に新たな視点を提起した治療学ということでもあります。
 カイロプラクティックの基本的原理を簡単に表現すると、生物学的な根拠に立脚しています。言い換えれば、カイロプラクティックは、人間が二足動物である故に生み出された必然の原理と言えます。人間は直立することで自由になった手で道具を使うことを覚え、物を捕まえたり、つくったりすることで脳を発達させ、考えることを可能にしましたが、その反面、重力に抗した直立姿勢からくる宿命的な欠陥は意外に知られておりません。
 実際、脊椎を中心とする人体力学の機能的研究は、最も遅れている分野と言えましょう。人体特有のS字状カーブの脊柱は完成美のように見えますが、南カリフォルニア州大学のR・カリエ教授は、「人間の背骨は決して完成されたものではなく、いまだに重力に対応する進化の過程である」と言い、カークスビル大学のH・ライト教授は、「今日われわれが直面する多くの健康上の問題は、直立姿勢に対する不十分な適応からもたらされている」と述べています。
 この分野で最も進んだ研究と臨床実験を積んでいる、ナショナル・カイロプラクティック大学のJ・ジェンシー教授は、「人類が直立姿勢であるという事実は、骨格・筋肉系と神経系との相関関係を非常にユニークなものにしており、カイロプラクティックでは特にこの点を重視している」と語っています。
 では、カイロプラクティックの理論的根拠になっている、直立姿勢が人体に及ぼす影響について考えてみましょう。人間と他の動物を比較すると、構造的には類似点が非常に多いにもかかわらず、二足動物と四足動物ではタテとヨコの関係にあり、各部の働き(機能)にはかなりの差があることに気づきます。人間の構造は、本来バランスのとれた四本柱(四足)の設計から、重力にさからう二本柱(二足)となって、いままでなかった余分な働きや負担が、骨格・筋肉・靭帯等に強いられることになったのです。
 特に腰部には、構造上最も大きなストレスがかかり、前かがみになって何かを持ち上げる時に感じる不安感と痛みは、ほとんどの人が経験しています。
 直立姿勢では、骨盤は、新たに生殖器や内臓諸器官を支える床の役目を強いられてお皿状に変わり、しかも運動性を維持するため、仙骨は前斜傾となって産道を狭め、難産の原因となっているのです。幼児期の未骨化な腰部、骨盤への荷重は、成人期において多くの変形をもたらしています。
 カイロプラクティックは、このような直立姿勢からくる構造的ストレスと、派生した機能不全を研究する学技であります。とりわけ直立姿勢からくる骨格・筋肉系、特に脊椎と骨盤における構造的な「ずれ」が神経の神経の伝導障害となり、その支配する組織や器官に機能障害を起こします。
 疾病は、単に心臓・肝臓・胃などの組織や器官にみられる形態(器質)的変化だけでなく、それら組織や器官による異常な動き(機能)によって引き起こされるのです。
 このような機能異常は、身体のコントロール・メカニズムである神経系による影響が非常に大きいと言われます。ソ連の生理学者スペランスキーは、疾病の発生、経過、病理変化を決定する因子として、神経系が非常に重要な役割を果たしていることを、実験によって証明しています。

からだは交響曲である

からだは交響曲である

カイロプラクティックの主な効果
人間が音楽を発明するきっかけとなったのは、
集団労働の際の掛け声や、会話の抑揚、感情の興奮と共に発する音声、
 大勢の人が一度に声を発した時の老若男女の音程差など、  
諸説があって定説はありませんが、  
宗教的な心の平安と歓喜に源泉があったことは確かなようです。
そして無限の音の世界を展開する交響曲。
しかし、音が音源であるためには、リズム・旋律・和声など
身体の機能バランスと同様に、ある秩序が 必要であることは言うまでもありません。
無限と秩序。こうしてみると、
身体という宇宙には、あなただけが奏でられる
シンフォニーが流れているのかもしれません。



基調
  見落とされがちなことですが、音が音として聞こえるためには、ある一定の静寂が必要です。そしてその響きが心地よかったり、躍動感を与えてくれるのも、背景に静寂という舞台がありからに他なりません。その意味において、静寂こそ音楽の基調と言えるでしょう。
 では、喜怒哀楽を全身で表現する身体の基調とは? それは、人間の身体の60%を占める筋肉・骨格系にあるのです。ここでは、その基調は、どのようにできているのか、どう機能しているのかをみてみたいと思います。
 人間には200個以上の骨がありますが、その中でも重要な役割を担っているのが背骨と骨盤です。背骨は24個の椎骨が仙骨という土台の上に、まるで一家の大骨柱のように立っており、これが背骨が脊柱といわれる由縁でもあります。そして仙骨を安定させるために、両側では寛骨という大きな骨が支えているのです。
 この脊柱が人間の姿勢や動きを支える骨格ですが、肋骨や骨盤と協働して内臓も支えています。頭蓋骨の下には7個の頸椎、12個の胸椎、5個の腰椎と、5個の仙椎が癒合した仙骨と、4個から5個の尾骨が集合して脊柱を形成しているのです。まるで、大管弦楽団を擁しているような壮観さです。
 そして、この30個以上の骨は強靭で柔軟性のある組織で連結されており、その一つが、椎間板という柔らかい組織で、1個1個の脊椎の間にあり、クッションの役目を果たしています。もう一つは、靭帯というテープ状のすじが、脊椎の前後左右斜めから連結し、さらに小さい筋肉や大きい筋肉が、しっかりと脊柱をガードしています。
 また、背骨は一本の柱として、人間の身体を支える重要な器官ですが、同時に、筋肉の作用が働いて、細やかでダイナミックな動きを演出する運動器官でもあるのです。特に頸椎は重い頭蓋を支えながら、全方向に対応して動きます。硬い骨でできている背骨に運動性がありのは、背骨の一つ一つの椎骨の間にある、柔らかくて強靭な組織である椎間板の作用によりますが、逆にいえば背骨は歪みやすい作りでもあるのです。まさに、椎間板は弾力性に富んだ「柔」と、重い身体を支える「強」と相反する二面性を持った組織で、音楽記号でいえば、瞬間的な瞬間的な強奏ののち、ただちに弱奏を要求するフォルテピアノのようなものといえるでしょう。
 カイロプラクティックでは、特にこの背骨の運動機能単位である、関節間(モーター・ユニット)に注目しています。中でも、骨のずれ、といった単なる構造的な関節障害のみならず、モーター・ユニットの機能的、あるいは動的な変調を重視しています。こうした関節間ユニットの変調は、その周辺を構成する筋肉、靭帯、循環系や神経系にも影響を及ぼすことになります。この概念は、臨床上でも重要な考え方になっており、既存医療に対するカイロプラクティックの斬新な主張でもあります。
 関節間ユニットの動的な変調は、日常ごく一般的に起こり得るのです。人間にとって、椎骨の一番最初のトラブルは、出生の時であると言われています。赤ん坊は生まれる時に、首が捻られ、鉗子で引っ張られ、大変困難な作業の中から産声を上げるわけですが、これが新生児の脊椎不整列の原因となっています。
 背中を不意に押されたり、何かにつまづいてバランスを崩したり、階段から落ちた、滑って転んだ、交通事故、スポーツでの大したことがないと思われているケガ、悪い姿勢、重い荷物を抱えての旅行等々、何とも思わないで通り過ぎて行った、身体へのマイナスな刺激は、次第に人間の身体を歪め、関節間ユニットに動的な変調をもたらし、それに関連した神経系、循環系、運動系のトラブルをつくり出して行きます。
 このように、背骨は、まさに人間の身体をコントロールする支柱であり、健康の基調をなすものなのです。そしてまた、身体の諸器官をオーケストラの諸楽器とみなせば、背骨はその指揮者であるとも言えるでしょう。


変調
 音は、高さ、長さ、強さ、音色の四つの基本的な属性によって特定の音が規定されますが、その音から音楽を形成するには、一般的にリズム、旋律、和声の3要素が必要と言われます。
 そして、その3要素の中でも、旋律を持たない音楽や、和声を持たない音楽はあり得ても、リズムを持たない音楽は考えられないように、リズムこそが、音楽の生命なのです。また、周期的に変動する身体の状態や現象を表す言葉として「バイオリズム」という言葉があるように、音楽を超えた、より根源的な生命と直接かかわりを持つ力でもあるのです。
 しかし、規則正しいリズムやメロディーのみが音楽ではありません。シンコペイトされたリズムは千変万化のおもしろさを表現しますし、モーツァルトの音楽の美しさは、テーマが突然に変調するところにあると言う人がいるほどです。では、人間の身体にとって、リズムに変調をきたすということは、どんな状態を言うのでしょうか。
 神経は、人間のあらゆる働きをコントロールする上で、大切な役割を担っています。例えば、人が歩く時、足は、交互に前に出て身体を前進させていますが、右足と左足が先を争って出ようとしたなら、歩くことなど、おぼつかないことになるでしょう。
 この時、右足と左足がお互いに話し合って、どちらが先かを決定するわけではありません。それを決めるのは、人体の総司令部である「脳」であり、脳の決議をそれぞれの足に伝えるのが、身体にはりめぐらされた情報のネットワークとしての「神経」であります。
 この神経の通信網を、微弱な電気エネルギーが身体の情報を運んで、時速400kmの超スピードで駆け巡っているのですが、もし、神経がなければ、われわれはチグハグな行動を取ってしまうことになります。この通信網がスムーズに連絡することができなくなると、情報も滞り、人間の身体は健全に機能することができなくなってしまうわけです。
 これは病気やケガの場合でも同じで、もし転んですり傷ができると、その部分にばい菌という外敵が侵入しますが、その時、神経は超スピードで、脳に「膝をすりむいた」と報告します。そして身の危険を察知した脳は、負傷した膝に白血球をたくさん集め、ばい菌と戦わせるのです。もちろん、こうした指令は神経によって全身に伝えられます。こうして、身体に起こった変化は神経を介して伝達され、防衛策もまた、神経を介して司令されるわけです。
 こうした神経による身体の情報網は、内臓も含めて全ての身体の活動を支配しているのですが、神経を意識的に支配することはできないため、神経は寝ている間も休みなく働き、身体の内部環境に異常がないか、いつもパトロールを怠ることができません。カイロプラクティック的にみれば、関節とその周辺の組織に発生したカイロプラクティック・サブラクセーションが神経を介して全身にシグナルを送るということになります。人間の身体が勇気的に結びついた存在だからこそ、身体に現れるそれぞれの症状は、身体からの警告シグナルだと言えるでしょう。
 こうした、もの言わぬ身体の叫びとしての様々な症状は、神経の通信システムを通じて、様々な身体の不定な愁訴として現れてくるのです。
 脳から出た神経は、すぐに背骨の中に入りますが、もしも背骨にトラブルが生じると、神経のネットワークにも混乱が起こり、身体の色々な組織や各臓器に機能的な障害が起こってきます。そうなると、身体の修復作業も困難になります。こうして、身体はますます本来のリズムを崩してしまうことになります。
 カイロプラクティックは、こうした神経の作用に注目しながら、身体に起こったシグナルを読み取り、身体の内部環境の調整に協力していく治療でもあります。その意味では、生命のダイナミズムとしてのリズム変化は認めるものの、大方は記帳を設定する調律師といったところでしょうか。


旋律
 旋律=メロディーとは、色々な高さの音が連続しているものであり、ギリシャ語のメローディア(歌う)に由来しますが、もともとはメロス(歌)と詩(オード)との合成で、詩を歌うという意味であるそうです。
 最古の旋律パターンは、最高音から最低音までの広い音域を上下するものと、ほとんど二つほどの音域のせまいものに大別されるようですが、ヨーロッパにおいては、それぞれの時代の音楽様式と密接に結びつき、声楽旋律と器楽旋律とに分けられます。そして、1600年以前を声楽旋律優位の時代、以降を器楽旋律優位の時代とみるようです。
 さて、旋律の変遷史とは関係のない話ですが、医学においても一種の流行というものがあります。例えば、デカルトによれば、人体は一種の「自動機械」でありました。その意味で、身体は医学の対象になるが、理性を持った人間は機械としての人体とは全く別の物である。という有名な心身二元論を1637年に「方法序説」の中で発表したのです。近代科学は、このデカルト的パラダイムに支えられ発展してきたと言えるでしょう。
 こうした、身体を部分に分別して、可能な限り細分化しながら、身体全体を構成するメカニズムを解明する方法論は、医学の進歩に大きく貢献しました。病気になったら、悪くなった部分を直せば解消できる、という基本的な考え方が今日の医療を支えているのはそのためとも思われます。一方、「心身一如」といった東洋の生命観などは、生命の本質を総括的に捉えようとする考え方であります。この論争も、医学の源流をたどると、古代ギリシャ時代にさかのぼります。
 ヒポクラテスを中心にコス派と呼ばれた人々は、病気を持った病人を診ました。これに対立したのがクニドス派の人々です。彼らは病気や症状を病型分類し、患っている細分化された部分を治療していました。
 部分にとらわれると全体が見えなくなる、全体をとらえると部分を見失う。両者の欠点を補完する立場で、今日のカイロプラクティックは、コス・クニドス両派の影響を受けているものの、その理論的源流はコス派の全体論(ホリズム)が根底にあると言えましょう。
 そもそも生命は、全体として常に最適な恒常性を維持しようと働いており、D .D .パーマーはヒポクラテスの考えを踏襲して、こう推論しています。「人体はそれだけで完全な生物体であり、その置かれた環境の中で、それ自身の中に人体を生理学的平衡状態(恒常性)に保つためにあらゆる必要条件を生まれながらにして持っている。そうした状態に保たれている時には、本来あるべき姿として健康は維持されている」と。
 この概念は近代に入って一層発展していきました。つまり、人間を取り巻く外部環境は常に変化していますが、その内部環境は常に一定を保ち、調和されるように働くとする、アメリカの生理学者W .B .キャノンが説いた「ホメオスタシス」理論であります。このホメオスタシスが正常に維持されていることによって、臓器や各組織が一つの自律的な統一性を持って機能を全うすることができるという主張です。
 例えば、旋律からリズムを取り去ってしまうと、無味乾燥な音のかたまりにしかすぎないのですが、何の変哲もない分散和音にリズムを与えると、とたんに生き生きとしたメロディーになるように、音楽もやはり一つの自律的な統一性によって成立しているのです。
 こうした「生体の自律性」と言うべき特徴を、小宇宙としての身体は持っています。その意味でも、人間の身体は、色々な器官や組織という部分が集積されてできていますが、それらは決して部分として独立した存在ではなく、相互に密接に関連した有機体としての存在なのです。部分はそれ自体、独立した部分でありながらも、相互の関連性を持った統一体としての全体なのです。この複雑な関連性と調和のリズムを一定に保つのが神経系であり、カイロプラクティックの学技は今後もその究明に貢献していくことでしょう。

カイロプラクティックってなんだ
WHAT'S  CHIROPRACTIC ?

カイロプラクティックってなんだ
WHAT'S  CHIROPRACTIC ?

カイロプラクティックで効果を得るための注意点
サブラクセーションとは。
単に、いくぶん骨のズレた状態を指し、 
関節の「構造的障害」と見なす正統医学に対し、 
内因性・外因性の要因の絡み合った 
複合的な「機能障害」と見なすカイロプラクティック。 
このサブラクセーションの認識は、健康を考えるうえで、
重要なキーワードとなれうだろう。

 カイロプラクティックにおける人体の認識のなかで、きわめて独自な概念が「サブラクセーション」でしょう。いったいサブラクセーションとは何を指すのか、その定義について某テキストにはこう書かれています。「サブラクセーションとは、隣接関節構造の正常な動力学的、解剖学的、そして生理学的関係の変調である。」
 簡単に言えば、ある関節をみた場合、「動きが悪く」「構造的に歪みをつくり」「神経生理学的な痛みや熱、コリなどが伴う」ことが分かれば、この関節にサブラクセーションが起きていると判断するわけです。
 ただし、人間の動きは局部的にせよ、神経伝達によって整然と調和をもった統一的な流れの一環として創出されているため、その原因も微候も単純一様ではありません。
 英語で言うところの「サブラクセーション」は、ほぼ「亜脱臼」と訳されますので、いくぶん骨のズレた状態を指し、正統医学の見地からすれば関節の「構造的障害」とのみ見なされています。しかし、カイロプラクティックでは、内因性・外因性の要因が絡み合った、複合的な色彩をもった、「機能障害」と見なしますので、正しくは「カイロプラクティック・サブラクセーション」と呼ぶべきでしょう。
 冒頭の定義は、1972年にアメリカ合衆国政府がカイロプラクティックを老人医療保険に組み入れる際、これを統一する必要が生じ、テキサス州ヒューストンで全米のカイロプラクティック大学関係者が集まって協議を重ね決定されたもので、カイロプラクティックを教育している世界の機関ではこの言葉を採用しております。
 それまでサブラクセーションと呼ばれる概念について、カイロプラクティック発祥の地、アメリカであってもさまざまな見解がありました。
 曰く、サブラクセーションとは、関節表面が部分的に接触を保ちながら、部分的なあるいは不完全な分離した状態をいう(D.D.Palmar,カイロプラクティックの創始者)」
 「サブラクセーションとは、脊椎がわずかに中心をズレた場合をいい、通常動きは正常範囲か、あるいはわずかに正常範囲を越えている。サブラクセーションは、関節の変形、働きの減少として脊髄神経や血管に圧迫、牽引を起こさせるような椎間孔の直径の変化などを伴っている。サブラクセーションのある椎体は、動きに対する生理学的要求と荷重負荷に完全に応ずる能力がない。(Joseph Janse DS, 故ナショナルカイロ大学学長)など、代表的なカイロプラクターはさまざまな解説を試みてきました。しかし共通しているのは、人体の骨格構造の状態について、神経や血管などへの影響のみならず、骨はもちろんですが、筋肉や靭帯それに軟骨など、関節を構成する組織すべてについて、一次的あるいは二次的にみて機能的あるいは形態的に正常な状態ではない、と解説されているところです。
 一歩進めて、その定義から、最近ではサブラクセーションを関節の非正常的な状態として、関節の可動性が減少し運動範囲が狭くなったり、あるいは可動性が異常に増してしまい、関節の安定性が損なわれた状態とするなど、その機能に重点を置いた考えや、関節を可動させている骨格筋に注目して、その関節の軸に沿って運動をさせる特定の筋肉の異常な緊張状態や弛緩状態が正常な関節運動を阻害しているとする見方など、より具体的な解説がされています。


【サブラクセーションの分類】
それでは、サブラクセーションの具体的な分類にはどのようなものがあるのでしょうか。

1.静止した関節、特に脊柱ユニットのサブラクセーション
脊柱ユニットの位置関係を示すものとして、屈曲・伸展・側屈・回転・前方・後方・側方・上下の椎骨の間隙の変化、椎間孔の狭くなった状態の9種類があり、該当する脊椎関節のガイドする方向、つまり首とか胸、腰や骨盤の骨によってそれぞれ頻繁にみれらる箇所が異なっております。

2.動的な関節ユニットのサブラクセーション
現在もっとも注目されているのがこのサブラクセーションに関する見解で、関節の機能に重点をおき、そのユニットが保つ可動性の減少(それによって関節が固定変位し、ある方向に動きを失うことをフィクセーションと言う)と、関節ユニットのゆるみからくる可動性の増加による関節の不安定な状態、それに関節そのものの異常な動きの3種類があります。

3.部分的なサブラクセーション
関節ユニットを越えていくつかの脊椎がグループとして不整列を引き起こす例を示し、側彎が特徴です。筋力差がアンバランスとなり、脊柱を側彎化させる例、構造上の非対称が側彎を引き起こす例のほか、急性の腰痛などの、代償的な脊椎の動きがみられない側彎、それにグループとしての運動異常などがあげられます。


【サブラクセーションの原因】
 さて、こうして整理されてきたサブラクセーションですが、人体にはなぜこのようなサブラクセーションが引き起こされるのでしょうか。その原因と遠因についておおまかに考えてみましょう。

1.外傷的サブラクセーション
外傷すなわちケガは、人体に炎症や変性などの原因を作ります。これによりもたらされる筋肉スパズム(過緊張)が脊椎を運動させる際にアンバランスを招き、サブラクセーションを引き起こす原因になります。

2.姿勢的サブラクセーション
先天的あるいは後天的な姿勢構造の変化が、サブラクセーションを招く原因になります。通常、人体は脊柱を起立して使用するわけですが、重力に対する筋肉・骨格系統の正常なバランスが失われると、代償作用が働いて、脊柱の支持を安定化させる修正をします。しかし、この自動的な修正能力を超えてアンバランスが存在する場合、サブラクセーションとなります。猫背や一部の側彎はこのようなケースから招かれるものと考えられます。

3.職業的サブラクセーション
これは習慣的な動作の繰り返しにより、つくり出されるもので、職業病との関連が大きいとされます。肩に重いものを担ぐ人にみられる胸椎の側彎や、重い物を持ち上げて運ぶ人にみられる腰椎の前屈姿勢などがあります。

4.反射的サブラクセーション
体性あるいは内臓のコンディションが筋肉の反射を招き、その結果、特定の脊椎にサブラクセーションが現れることが知られております。例えば胃が痛くなったりすると、背中の肩甲骨間のやや左側に筋肉の拘縮が現れ、対応する脊椎の可動性を損なうことなどです。

5.精神的体性反応としてのサブラクセーション
ストレスが身体の活動に与える影響はよく知られたところですが、これらによっても特定の脊椎にサブラクセーションが現れます。

 カイロプラクターが主張する基本的なサブラクセーションの概念が、これで少しはお分かりいただけたでしょうか。サブラクセーションという認識は、健康を考えるとき、ますます重要なものとなるかもしれません。

外科医学じゃない。東洋医学じゃない。

外科医学じゃない。東洋医学じゃない。

カイロプラクティックと整体の違い
例えば整体指圧とカイロプラクティックが同じ治療のように宣伝されたために生じた混乱。
ここでは、治療方法・考え方、あるいは役割の違いを述べることで
カイロプラクティックが科学的根拠に支えられた、
独自の治療技術の一専門分野であるということを理解していただけるでしょう。

 カイロプラクターは、治療に薬物と手術などの観血的手段を用いません。行うのはアジャストメントと呼ばれる手技と、温熱や寒冷などの物理的方法、体操、それに栄養指導などです。一部のカイロプラクターはハリやSSPなどの刺激療法を共用することもあるようですが、原則としては手技、すなわちアジャストメントが治療の根幹をなすものです。
 カイロプラクターは、外科的処置について、重要な治療の位置を占めるものとしてその必要を十二分に認識しております。しかし、外科的処置に頼らなければならないレベルの患者のみが、その対象となっているかについては、別の観点があります。つまり、現在手術の対象とされる病気の中には、カイロプラクターの行う手技や指導によって充分回復するであろうものも含まれていると考えているからです。
 例えば、腰痛の中でももっとも厄介とされる椎間板ヘルニアなどでは、グレードによっては手術より安全かつ効果的なテクニックを、カイロプラクターは開発しております。かつて椎間板ヘルニアがどうしてかくも有名になったかといえば、あまりにも多くの人がこの病気にかかり、手術をした後の患者にその手術が有効であったとされる割合が低く、なおかつなかなか根治しなかったことがその一因と言えましょう。
 その治癒率の違いは、主に対症療法としての局所医療と、根本療法としての総合医療に違いにあると言えます。X線検査を例にとれば、外科医学では、障害部位の構造的変位を調べるためにレントゲン撮影をしますが、カイロプラクティックでは、そもそもサブラクセーションは、複合した生体力学的・生理学的不調と見なしておりますので、そこに構造的なものとは異なる、脊椎関節の機能的変異があるかどうかを重視するのです。
 そのため、カイロプラクターの使用するX線装置は、患者の脊柱が通常の直立位をとるように設計されており、いわば動態撮影としてのレントゲンということになります。その必要は、脊椎分節の動きは非常に微妙精緻なものであり、わずか数ミリ単位の脊椎の不全が、神経系全体に影響を与えると、臨床上から結論を得ているからでもあります。
 ただし、誤解のないようにしなければなりませんが、このようなX線検査などの鑑別診断は、あくまでアジャストメントを治療の原則としているカイロプラクティックですから、禁忌の確認や脊柱障害範囲の確定、および特定の症状に必要とされるテクニックの選定という、限定的な目的のために行われているのです。
 以上からも、カイロプラクティックが、治療技術の一専門分野であることが理解できると思いますが、結論から言えば、カイロプラクターがその能力を充分に活かせる環境さえあれば、今までより安全で有効な治療方法として、さまざまな患者にとって治療法の幅の選択が広がり、福音となることは間違いありません。そうすれば、カイロプラクティックが医療の一部を補っていく役目を担うことになります。現実に、米国ではこのような患者を同一の病院内で、外科医とカイロプラクターが相談しながら治療にあたるケースも増えてきております。
 さて、カイロプラクティックと、東洋医学のなかでも物理療法とされるハリや灸、整体指圧、それに接骨との違いはどうでしょうか。これらの治療法とカイロプラクティックは、人間の自然治癒力を」念頭に置き、物理的手段をその処置とする点で大変似通っております。
 ハリ灸は、金属製の針やもぐさなどの独自の器具を用い、漢方概論と呼ばれる弁証法的な哲学概念を、その治療指針としている点で、カイロプラクティックとは大きな相違があります。しかし、カイロプラクティックのテクニックには、これらの治療効果理論を応用発展させたものも含まれており、両者の相違は直接的な治療方法ともいえるでしょう。
 整体指圧とカイロプラクティックは世間で同じ治療のように宣伝されたため、標榜する治療師の間でさえ混乱がありますから、カイロプラクティックの治療をすでに受けておられる患者さんに、カイロと整体指圧が同じものと思っておられる方が多いのも止むを得ないかもしれません。しかし、カイロプラクティックと整体指圧には大変な相違があります。
 整体指圧では、東洋医学の経絡・経穴に基づいた「診断即治療」を行い、気・血・陰陽のバランスをとるなどといわれますが、カイロプラクティックには、独自の理論に基づいた視診・触診・垂直線を使った姿勢検査・皮膚温度測定・X線検査があります。要するに、プライマリー・ケアとしての役割を担っているかどうかであります。
 米国では、カイロプラクターになるのに一般大学で基礎科学を中心に2年、その後カイロプラクティック専門大学で4年以上の課程を修了することが義務付けられており、修学内容は、薬物と手術をカイロの理論と技術に置き換えれば、他の医師と石と相違ないところまできております。
 したがって、症状があってカイロプラクティックの治療を受けにきた患者さんが、はたしてカイロプラクティックによって治すことができるのか、それとも専門医を紹介しなければならない病気を持った患者さんなのかを鑑別する能力がそこで教育されているのです。そういった意味では、米国のカイロプラクターの責任は軽いものではありません。
 よく整体指圧とカイロを同意語としている治療院にありがちなのが、しっかりしたカルテを取らない、必要な検査をしない、納得できる説明をしないの「三無い治療」といわれます。カイロプラクターがきちんとしたカルテを取らないし、必要な検査を治療前にしない、ということは米国や他の国では考えられません。その意味では、日本におけるカイロプラクティックという名称に整体指圧の文字を重ねて表示された治療院レベルは、推して知るべしといったところでしょうか。もちろんカイロプラクターはカイロプラクティックという名称しか使っておりません。
 最後に接骨、つまり柔道整復師の行う治療ですが、これは骨折、脱臼、打撲、軟部組織の損傷などの外傷に限定されている応急処置、またはアフターケアがその施術範囲とされているもので、わが国独特のものといえます。